Mikuriya

御厨

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母の誕生日の頃になると花粉症になる。母の誕生日は何故かよく覚えていて、高校の合格発表の日だった。いや高校の合格発表の日が母の誕生日だった。というのが一番しっくりくるか。とにかく、母の誕生日は日付もきっちり覚えている。それ以外に兄弟や父親の誕生日は曖昧だ。生まれ月くらいは覚えているけど、10月か11月くらい曖昧な場合もある。
三月はいつのまにか花粉症の季節になってしまって、能率の悪い時期になってしまった。以前は3月は調子がよかった気がする。なんというか、創作したくなるようなやる気が充満していたと思う。
ここ数日は、創作自体のやる気はないわけではない。でもやる気が出たとて、41歳のやる気だ。18歳とかの、やる気とは違う。
そのやる気をどこに傾けるべきか、傾けない事柄を整理して、微量なやる気を、なんとか有効活用しようと思っている。
本当はやるべきリストを、ある観点でフィルターをかけて、優劣をつけていけばいいのかもしれない。昔は切替の速さや、同時進行で進められる量が、再現可能な成果、成長のような気がしていた。
今痛感していることは、それはある時期までは正解だったと思う。でも、今は同時に進められるマルチタスク能力が、自分を満足させている気がしない。
マルチタスク能力がさも自他共に認める高水準にあるかのような書き方をしたけど、18歳の私からしたら30代くらいの自分はそれなりにマルチタスクっぷりは成長していたと思う。
マルチタスクっぷりは、日に日に適当さに置き換わっているような気がしてならない。
何かを始めてばかりで、何かが仕上がっていく感覚は、そういえば味わうことがない。
仕上がっていって、細部にまで記憶がみずみずしくアクセスできる状態が懐かしい。例えば引越し作業をしていたって、ダンボールに何を詰めて、何を捨てたか、ガス・水道の停止の手続きや、最後の鍵の返却にいたるまで
細部が瞬時に頭に呼び出される仕上がり具合が、生活の隅々にまであった気がする。
このテキストも、いい具合に誰も読んでいない。読まれていたとしても、それは僕からは全くわからない。
18歳のころの、あらゆることがそんな感じだった。18歳という若さを懐かしむというか、スマホやインターネットがないころを懐かしんでいる。
僕はこの火薬庫シリーズを、断酒としてのリハビリテーションとして行なっている。
酒をやめるかわりに、何か眼に見える証がほしかったのかもしれない。
やめられているけれど、すぐにでも以前の状態にもどれるおそれが未だにある。
次、やめるものは「スマホ」だと確信している。インターネットでもいい。とにかくスマホは生きている感じをめっちゃ損なう。
ずっと、やめかたについて思案している。どうすればスマホと決別できるか。
やめられない合理的にみえる理由はいくらでも挙げられる。たとえば、カメラ。
スマホのカメラなしには、記憶喪失になりかねない。
でも、今、アイディアがある。スマホから離脱するための方法だ。それを試すタイミングがそろそろありそうな気がする。